北朝鮮は国際社会に受け入れられるには。イニシエーションということ。

子供が大人になること、それは、成人式つまりは通過儀礼、それは、伝統的な社会では、イニシエーションとして設定されていた。国際社会、もしそんなものが本当にあるのならば、北朝鮮は、若い子供である金正恩はそれを「通過」しなければならないだろう。イニシエーションとは「象徴的な死」を潜り抜けなければならない儀式である。国際社会において「大人であること」とはどういうことなのか。彼はそれを「核兵器を持つこと」だと突き付けてきた。

コドモのままに大人になる。そんなことがゆるされていいのだろうか?でも、大人って誰なの?世界の大統領ドナルド・トランプちゃんは大人なのかしら?大人になっていると思いこんでいた僕たちはこまってしまう。「象徴的な死」とは何なのだろうか。われわれ日本人は、もしわれわれが大人であるのならば、それをどうやって乗り越えたのだろうか。天皇陛下のことを考えなければならないのかもしれない。小さな国の小さな王子にとって、「象徴的な死」とはどういうことなのだろうか。いまはそれを誰も知らない。大きな子供と小さな子供が、ともにそれを「経験」しなければならない。我々は見ているだけだ。これは儀式なのだ。そうあってほしい。