北朝鮮の報道を見ていたら日本国憲法のことをなんとなく考えた。

 先進国の間では、たとえどんなにメンドクサイもめごとが起こっても、いきなり戦争で決着をつけるなんてことはまずありえない。技術が進みすぎてしまっているので、勝った方も、負けた方も、その損失、後始末を考えると、戦争なんてあり得ない、事実上不可能になっている。当たり前の感覚として、先進諸国の間では、日本国憲法第九条とかがデファクトスタンダードになっていて、当たり前に普通の人が普通に生きていけるということが当たり前に保証されていなければならないと普通に思われている。なんだかんだ言っても、先進諸国の間では平和憲法みたいなものが空気のように当たり前になっている。考えてみれば、このことはなんか申し訳ない気もする。先進国グループには入っていない国の人たち、それどころではない、国民を当たり前に守ってくれるはずの「国家」すらあやういような国に住んでいる人たちもいる。「あんたたちってなんかずるい」って思われているだろうな。ほんと、そう感じる。だから、北朝鮮の小さな王子様は「核兵器開発したんだぞ、一人前だぞ」って、仲間に入れろって騒いでいるように見える。この星には日本国憲法というようなものがあって、それが当たり前に機能している、最近はあやしくなっては来ているが、それなりに豊かに文化的に普通に安全に生活している人たちのいる国々がある。そういう国から来た人たちが地下鉄や東横線や山手線に乗っていたりする。ビジネスだけではなく、旅行に、観光に来ている人たちだ。

 もちろんそうでないところに住んでいる人たちも大勢いるわけで、というか、そういう人たちの方が断然多いわけで、この星の別のところからこっちを見ているような気がする。そういう問題の、ある種ゆがんで特殊に凝縮してしまったような問題が北の小さな王子様問題なのかもしれない。「あんたたちってなんかずるい」問題というものがあること、それがもう手に負えない所にまで来てしまいそう、日本国憲法の、しかし、半端ない資本主義のキツイ大変なことになりつつあるこの国、だけれどもやはりお花畑のこの日本にミサイル飛んできちゃうの?ってところまできた。というわけで、さてどうやってなだめたらいいんだか。先進国は、戦争は無理だ、ガチンコでガンガンやるなんてできない。原発事故とちがってあらかじめ被害地域を限定できない。というか、原発事故なんてもう絶対あり得ないいやだ。というわけで、先ずは抑止力か。日本国憲法を変える。第九条を変える。でもそれは、「あんたたちってなんかずるい」問題に対する直接的な回答に思われてしまうような気もする。日本国憲法の、なんかのほほんとした平和な感じ。なんか平和的なやり方っていうもの。窮状を変えるときに、そのことに意識的でないと、平和的な感性というか、世界に対する関心のひとつの在り方が消えてしまう不安がある。そしてそこに空白ができる。第九条は変えなければならないだろう。しかし生じてくる空白には予測不能なものがありそうな気がする。誰かが想像力を働かせているのかな。たぶんそうだろな。紅白歌合戦の前に誰かなんか言って欲しいな。期待しよう。