プロレスのように。ポストツゥルースの着地点はあるはずだ。

子供の時に初めて見たプロレスは真実の試合だった。それがどんなプロスポーツにも似ていないことが分かるには大した時間はかからなかった。プロレスはひとりひとりの心の中にだけ真実があるだけで、現実の真理とは何の関係もない。オリンピックはナショナリズムの、プロ野球愛郷心の、プロサッカーはフーリガンの、それぞれの真実を現実にもたらしている。権威があり、尊敬があり、共感があり、真実があり、持続する集団的な記憶や誇りがあり、それぞれの土地に、そこの人々に、意味と霊感を与える。それに対して、プロレスはリアルななにものも与えることはない。自分の中でだけの真実であり、自分の中でだけの意味と霊感だ。プロレスは世界の、現実の、人々の生活の、何も全く変えることがない。しかし、プロレスは、ファンの一人ひとりを確実に変える。興奮と共感、失望とそれなりの満足をもたらしてくれる。プロレスの世界では、ナチスのような差別主義も、リベラルな正義感も、興奮も憎しみも、すべてリングの中で輝きながらその場限りのその時限りのフェイクのパフォーマンスの時間の中で物語を聞かせて終わる。大したわだかまりも失望や快感もその場限りで消化しておしまい。

 そういう意味では、これは、現代の社会が発明した新しい経験だ。最後に残った「機能する」啓蒙主義だ。自分の中でだけの理想主義、自分の中でだけの希望、自分の中でだけの良心。まったく世界を変える力を持つことはないけれど、良くも悪くも、社会を変えるという意識をもたらすことはない。そういう意味では、人々をそのままにしておく。このような消極的な啓蒙主義、理想主義、昨日から明日が大して変わることもないような退屈な日常がそのままに続くこと。それがどんなにか素晴らしいことなのか、ようやく我々は知る。ポストツゥルースを無害なものにしてくれるかもしれない何かがここにはある気がする。

 20世紀のアメリカの、混乱している社会が崩壊していくような気分が広がりつつあった時に、カート・ヴォネガットSF小説の中で「無害な非真実」というアイデアを出していた。ヴォネガットであれば今何を言うだろうか。トランプはプロレスのプロモーターをやっていた。トランプ大統領をヴォネガット的人物だと誰かに言ってほしい。彼を「無害な非真実」であると着地点を示してほしい。「ここがリングだ!みんな集まれ!」歴史に名を残したいのなら、安倍晋三よ、東京でプロレスを興行せよ。アジア太平洋選手権,Tokyoワールドシリーズ、夢の世界平和選手権だ。世界の大統領ドナルド・トランプvsアジアの虎北の王者金正恩。裁くレフリーは世界のマリオ、今回はシンゴジラ安倍晋三、世界を冷温凍結出来るかどうか。安倍晋三がんばれ!!